次に重要になるのが、まず中心というものがあって、全ての存在というのは、必ず二つの【 主体 】と【 対象 】の関係にあるということなのです。この言葉が非常に重要な意味を持っているのです。
【 主体 】と【 対象 】という言葉の意味は、まず主体が先にあり、その存在の為に次なる対称という言葉ではなく、【 対象 】が存在しているということに意味があります。
位置ではなく、もっと内的な関係性が重要な意味を持ちます。
【 対象 】という言葉には、目的が含まれています。
対称とは、Aがあって、ある基点を中心に、相対的な位置としてBがあるということです。
単に位置を表していることで、順序が逆でも同じ表現が使えてしまうということになります。
対称という言葉は、Aの存在理由や存在目的のためにBという存在があるということの重要な意味を含んでいないのです。
神は人間を対称として創造したのではなく、【 対象 】として創造したのであり、愛する対称ではないのです。
単純にA=Bが対称の意味するところであり、男性と女性はA=Bではないのです。
また対称は位置関係を表しますが、それは秩序ではなく、単なる位置です。
言い換えれば、対称という表現を使うのであれば、男性と女性の位置が変わっても良いということにもなってしまいます。
物理の世界から言えば、【 主体 】から【 対象 】にエネルギーが発せられて、エネルギーを受けた【 対象 】が、【 主体 】に返すという作用によってどのような事が生まれるかというと、その【 主体 】と【 対象 】が回転を始めるということです。
回転というものは人間でいうならば、円になる、輪になる、一つになる、その様に表現する事が出来るわけです。
それが物理の世界では、正しく回転している事を示す事になるのです。
ですからこのひし形の図は、完全に一つになると、合成一体となる、或いは、和すると、言うような言葉で表すことが出来るわけです。
図の様に中心というものを基準として、まず主体へ、そして主体から対象へ、対象から主体に、エネルギーが回転する様に流れるのですが、このエネルギーついて表現を変えるとすれば“愛”という事になります。
あるいは“刺激”という表現に変える事も出来ますし、“思いやり”という表現に変えることも出来るわけです。
その様な回転運動が起り、2つが1つになって行きます。