まず、神という存在も図の平面図で表すと、幾何学的なひし形の図で表現することができますが、あくまでもこの図は平面上に表しているので、時間と空間を超えた存在という意味では、少し語弊があります。
神、あるいは第一原因という存在は、時間と空間であるこの三次元世界で説明すると、どうしてもこのような幾何学的平面上の形になります。
全ての原因がこの形から出発しますので、この世界に存在する形あるものから、形のないものまで、全てこの形をとるようになっています。
それは、存在という物質的なものだけではなく、エネルギーなどもこの形で表せます。
あるいは、政治や経済の世界から家庭までこの形で説明することができます。
具体的なものを表す事だけではなく、イメージや観念の世界で受ける事に関しても、とにかく全てのもの事はこの形に帰結します。
この辺の事を、どれだけ理解していけるかという事が、これからみなさんの進むべきに道に対して非常にキーポイントになってきます。
時間的な側面から見たら、ひし形四角形の頂点を、もの事の中心として考えます。
つまり第一の原因というものがひし形の頂点に位置し、そこが全ての出発地点となります。
ひし形四角形の頂点に位置する神の部分には、言葉を置換えると“心情”が来るとも言えるのです。
なぜ心情が来るかと言えば、神とは心情の存在であるからです。
そして心情の神の中には、父性と母性の2性が存在します。
それを人間に当てはめると、「父・母」となる二つの愛の形になるわけです。
これは、「陽と陰」、そのように表現する事も出来るのですが勿論これだけではありません。
より本来の本質的な部分は、人間で言えば「心と体」に価し、「見えないものと見えるもの」という形でその2性がより本質的なものとしてあるのです。
ここでは空間的な側面で表していますが、時間的な側面で言えば、まずその心情、あるいはその中心に目的というものがあります。
その中に2性があり、その2性が完全に一つになった形が第一の原因である神となります。
これを時間的な側面でいえば、1、2、3という3段階の時間的な経過と言えるのです。
一つのものが“完成”、“帰結”、“存在”する為には、必ずこの3段階という期間を通過するようになっているわけです。
3段階を通過して初めてひし形という形が完成します。
つまり、私達人間は3段階目の手前にいるわけですから、一人一人がひし形を完成していないと言えるわけです。
このひし形が完成していないのが、我々の住んでいる世界となるのです。