第25章 マルクスもアインシュタインも間違いだらけ

 

marx-voeux

 

 

経済の在り方についてもそれで良いのか?どうなのか?結論から言わせて頂ければ、決してそれでは良くないと言う事になるわけです。

経済について言えば、本当の意味でバランスの良い経済の確率、と言う答えが正解なのです。

 

日本だけを挙げて例に取れば1憶2000万人以上の人口で皆が、等しく、豊かに暮らせる。

そんな経済の在り方でなければならないです。

自殺者が、年間3万人以上も出るような社会の在り方であってはいけないと言う事なのです。

いつの時代にあっても変わらない、いつの時代あってもデフレも無ければインフレも無い、そのような経済が成立して行かねばならないという事が、この観点の結論になるのです。

そして、何故その様な問題が起きているのか、その事に対しても、このひし形理論を通じて問題提起していきたいと思います。

 

それでは、一体何が問題なのでしょうか?

まず、“私”と言う人間自身が如何なる存在なのか?

もう少し言えば、人間は何の為に生きているのか?或いは究極的にこの“私”は結果的な存在であり“私”その者を存在せしめた原因とは一体何処にあるのか?そんなところにまで問題を見つめていかなければ、実は解決の道へ辿り着くことはできません。

それを例に取ると、ひとつの経済においてもそうなのです。

例えばマルクス経済学を挙げてみましょう。

マルクス経済学は今日では間違いである事は既に明確なわけです。

ではマルクス経済学の基本になっているもの、それが何かと言えば最終的に第一原因をどのように捉えているのか、その観点を見ていく事が最も重要なのです。

マルクス経済学は、第一原因をどの様に解釈しているのか?

、或いは意識・人格を持った存在ではなく、唯物論という観点でこの宇宙の本質とは物質である所からマルクス経済学は出発しているのです。

物資が本質であるという所から出発しているものは人間に対する見方、人間観とそのものを決定付けるのです。

少し端折ったので難しかったかもしれませんが、根本が間違っていますので結果として生まれた学問は、間違った事になってしまうのです。

それは他にも言えるわけです。

例えばニュートンであるとか、アインシュタインであるとか科学者におきましてもそうなのです。

 

それは何かと言えば、最終的に根本的なところをうやむやにしたまま、色々研究して行く過程の中、その時々において、あたかも真理であるかのように発表するわけです。

結局今日に至って、これは間違いであったという結果になってしまっているのです。

この原因としては、全ての原因としての存在、或いはこの宇宙森羅万象全ての原因というものが何なのか?その観点の捉え方を間違えると、結果的に生み出されてくるのです。

国家間の問題や政治・経済・育児・教育・結婚・家庭医療・倫理・道徳・芸術等全ての問題が間違って来る事が理論的に説明をする事が可能なのです。

つまり“私”というのはあくまで結果であり、原因そのものが明確にならなければいけないのです。

 

 

関連した理論記事