第12章 マグダラのマリアの心情

 

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今日までイエス・キリストの生涯に関しての間違いや誤解が多くの人々、とりわけキリスト教会の指導者たちによって語られてきました。

ある教会の神父さえもこんな説教をしています。

「イエスは、権威や地位、名誉というものは、人間の幸福には不要なものであると言っている」かのように語り、イエスが40日の断食の後、悪魔に3つの試練をされる場面に関しても、そのことを物語っていると語っています。

そして「それが証拠にイエスは貧しいものたちを弟子として従えていた」という解釈になっているのですが、しかし、それは大きな間違いなのです。

本来イエスは、何千年もの間、神によって準備されたイスラエルの民によって歓迎され、そのイスラエル民族の長たる、祭司長らに迎えられるべき立場でありました。

そしてイスラエル民族の王として君臨し、その後、ローマから始まり、アジアへとイエスの教えが述べ伝えられ、短期間の間に神の王国は建設されていたのである、というのが真実であるのです。

ですが、イエスを迎えるべくして準備されたイスラエルの長やその民族たちがイエスを迫害していったので、イエスは孤独な中、仕方なく漁師や取税人や病人たちを集め、神の王国を建設するための賭けに出たのです。

ところが、イエスによって集められた人々は誰一人として、イエスの真の心を理解することはなかったのでした。

誰もが自分のための利益を求めイエスに付き従っていったのです。

そして、頭の中にあるのは常に損得勘定でした。

それは12弟子たちでさえもそうでありました。

彼らは皆等しく頭の中だけでイエスのことを考え、共に過ごしていたのです。

しかし、そんな中で唯一イエスの心を、そして其の心情を近く感じていたのは、マグダラのマリアだけでした。

イエスの苦悩をより身近に感じていたのがマグダラのマリアであり、イエスの心情を唯一慰めてくれたのは、神の次にマグダラのマリアであったのでした。

12人の弟子たちは、いつも頭で物事を考え、頭で動き、イエスの心情を感じようとするものは誰も居なかったのであります。

そしてイエスの最後の瞬間まで、イエスのより身近に居た存在がマグダラのマリアでありました。

彼女は、イエスの愛を心から感じ、そんなイエスを心から慕っていました。

12人の弟子たちも同じようにイエスから愛を注がれていたのだが、それを理解するものが一人として居なかったのです。

「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。」

これはイエスの語った有名な言葉でありますが、この意味するところは、決してイエスが十字架で死ぬために来たということではないということなのです。

イエスは最後の最後まで愛を理解しない弟子たちに、身を持って愛を示すために語った言葉なのでした。

イエスは死んでから理解されるために生まれてきたのではなく、生きて神の王国を建設するために来たというのが真実なのです。

では、イエスを産んだ母のマリアはどうだったのしようか?イエスの最後の時、どんな心情を通過し、どれだけイエスの心情を汲んでいたのでしょうか?

ここ最近になって随分と久しぶりにイエスさんの声を聞くようになりました。

昔のように集中豪雨的なものではないけれど、要所要所でヒントやメッセージをくれます。

彼は「私はイエスです」とは名乗ってはいませんけど、あの時の感じを瞬間的に理解できるのです。

アンテナの波長が再び合ったのかなと思います。

今は過去の全てを清算している時に当たるので、色んな歴史的事件が起きてくるという事を言っています。

そして悪党たちの所業がどんどん光に映し出され、隠そうにも隠すことが出来ない、袋小路に入ったと言います。

今日までイエスの生涯に関しての間違いや誤解が、多くの人々、とりわけキリスト教会の指導者たちにおいてなされてきたのです。

 

 

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