第11章 イエスが語る神の姿とは

 

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僕が、イエス・キリストから教えられたことは山ほどあります。
その中の一つに神の愛についての話があります。
これは神がなぜ人間を必要としたのか?というイエスさん本人のお話です。

神が愛の神であるためには、観念の世界ではなく実体の世界が必要である。
思いの世界ではなく、それを具現化し体感する必要がある。
そしてそれを神の血と肉に染み込ませる必要がある。
そうすることで初めて神が愛の神として存在することになる。
更にいつまでその体感をし続ける必要があるのかという話である。
愛が愛であり続けるためには、それは永遠でなくてはならず、無限でなければならない。
一度生まれた魂は決してリセットされて再び生まれ変わることは無い。
次に神は人間を愛する存在として、人間に願った基準はどんな基準であるのか?
そしてなぜ男と女を創造したのか?
更には、妊産婦が子を産もうとするその時に、子を産めば妊産婦が死に至るとする場合。
妊産婦の生を選ぶのか、生まれようとする子を選ぶのか。
二つに一つしか選択肢が無かった場合に、どちらを選ぶことが愛の世界であるのか。
人間は、そんなことも分からずに軽々しく愛を語る。

イエスさんの話はまだまだ続く。

人は結婚をし、「私はあなたを愛しています」と口にするが、全く分かっていない。
愛は初めから存在するものでなく、どんどん大きく膨らんでいくもの。
愛は育てていくもの。真実なる愛は時間と共に益々大きくなって無限に広がり続けるもの。
偽りの愛は、時間と共に小さくなっていくもの。そしていつか消滅していくもの。
愛は全てを消化するもの。全てを包むもの。そこに性格の不一致などという理由で愛が消滅することはあり得ない。それは、愛ではなく、愛だと錯覚していたのである。
人類はこれから真実の愛を学んでいかなければいけない。
更にイエスさんの話は続き、イエス自身が人生半ばで昇天したことで、伴侶を得て子を抱き、愛の家庭を築くことが出来なかった。そのことが神の心にまた悲しみを一つ与えてしまった。
神は未だに苦しみもがいている。

その神の心情の世界を解放させてあげるために再び神の一人子として誕生する人物が人類三度目のアダムである。
しかしその第三のアダムとして誕生する人物は、生まれて直ぐ幸せな人生を始めるのではない。180度正反対の人生を送ることになる。
人は軽々しく救世主と呼ぶかもしれないが、そんなものではない。

人類最悪の不幸な人間である。ありとあらゆる悲しみ苦しみを味わい続け、この地上で最も最悪不幸な人生を歩む。だが彼が死んだ後には、この地上で初の、神と心情を交わし得る人間となり、人類初の神の心情を解放し、神が心からかき抱くことの出来る神の子となり、神の玉座で愛され続ける最も最高の幸福者として永遠に生き続ける。

その理由を人類が理解するためには、まだもう少し時間がかかるだろう。

 

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